単純な図式
またまたこちらを放置してしまいました。今年もよろしくと書くのもなんだか図々しいですね。
年末年始は帰省しました。日常生活ではインターネットで情報を得ることが多いですが、帰省するとネット環境がありませんで、テレビや新聞を見ます。なんだか、懐かしいよりふしぎな気持ちになります。
ドラマのわかりやすさに驚きます。韓流ドラマって、コミカルさを演出するのが目的なのかどうかわかりませんが、なんだって、変なキャラが登場するんでしょうか?大声でしゃべったり、おばかだったり、単純だったり、品がなかったりと、「うざい」でカテゴライズできるキャラ。そんなにたくさん見たわけじゃないんですが、たいていそういうキャラがいる気がします。なぜなんでしょうね。
たまたま、不朽の名作アニメ「フランダースの犬」の再放送を見ました。
ネロのおじいさんが畑仕事をしていて、ネロはアロアのスケッチをしています。そこへ、アロアのパパであるコゼツの旦那登場。旦那は「おじいさんだけ働かせて自分は怠けている」とネロをなじります。絵を描くのは怠け者のすることであり、自分がネロくらいの年齢のときはたくさん勉強をしていたと言います。
一緒に見ていた私の身内は「金持ちって意地悪だねえ」などと言っていましたし、子供のときは私もそう感じたかもしれませんが、今見て思ったのは、旦那の言うことも一理ある、ということでした。いきさつがどうあれ、そのひとこまだけ見ればネロは遊んでいるように見えるし、絵を描いたこともなく小さなときから懸命に勉学にうちこんでいた人にとってはなおさらそう感じるだろうな、と。
だからといって、子供を頭ごなしに叱りつけるのは感心しませんが、主人公のかわいそうさをひきたてるために、主人公に敵対する人を悪役にしてしまう演出とはどういうものだろうかと思います(アニメでは、ネロやアロアは子供のように描かれていますが、もう少し上なんじゃないでしょうか。アロアはイギリスの学校に通っていたと言っていますし。昔私が読んだ本の挿絵では、けっこう大人びていました)。
おじいさんはネロを遺して世を去ってしまうのですが、その前に何か手を打ったんでしょうか。養子先を探すとか。ネロが孤児になってしまうことは想定の範囲内でしょうに。と考えると、やさしいだけではほんとうに人のためになるのか、という疑問がわいてきます。
主人公のかわいそうさをひきたてるために、敵対する人を悪役に仕立てる、というのは、テレビ番組「行列のできる法律相談所」の再現ドラマでも感じたことがあります。「人に迷惑をかけたり理不尽な要求をしていたりしている人のほうが法律的に正しいなんて、んまあー!!」という印象を視聴者に植えつけたいのでしょうが、そんな感情的な話は私にとってはどうでもよろしいです。
なんてことまで思い出してしまいました。
もうひとつ。
新聞に、小中学生から寄せられた詩を載せるコーナーがあります。私が目にしたのは、小学生の詩でした。
日曜日、家に誰もいなくて静かで、ひまで、ひとりでテレビを見てひとりで笑った、という内容の短い詩です。
にぎやかな日常から切り離された、しみじみとした時間を過ごしたんだなあ、いい経験だなあ、と私は思ったのですが、添えられていた選者とおぼしき方のコメントはまったく違っていました。この詩は寂しい気持ちがこめられていると思ったようです。
この詩の作者しか答えはわからないのでなんとも言えませんが、静かな家にひとり、というのは「寂しい」と簡単にイコールで結びつかないです、私は。だからびっくりしました。静かなところにひとりでいるって、必ずしも寂しいとは限らないのではないかな?子供だからって。
「あたしンち」というまんがで、いつも騒々しいお母さんが外出し、夫・娘・息子がまったりのんびりとした休日を過ごしていたところへお母さんが帰ってきて、「あらあらお母さんがいないとこの家は火が消えたようだね!」と言い放ち、三人が軽くイラッとする、という話がありましたが、はい、よくわかります…。
何が言いたいかというと、貧しい=清らか、金持ち=意地悪、とか、よく喋る=明るい、物静か=暗い、とか、なんか、そういう単純な図式でくくってほしくないってことです。
子供のときにガンダム(ファースト)を見て、主人公=よい人、敵=悪い人、という図式が成り立たないことにおどろいた記憶があります。
なんでも真に受けてしまう子供だったので、お話やアニメは描かれていることが絶対だと思いこみ(いまだに二次創作はまったくできません)、登場人物が少しでも悪く描かれていると「悪いやつだ」と受け取ってまったく好感が持てないことがよくありました。うん、もったいない。
今みたいにネットが普及していたら、他の人たちの感想や印象を聞いて、もっと世界に深みが出たのかもしれなかったですね。
年末年始は帰省しました。日常生活ではインターネットで情報を得ることが多いですが、帰省するとネット環境がありませんで、テレビや新聞を見ます。なんだか、懐かしいよりふしぎな気持ちになります。
ドラマのわかりやすさに驚きます。韓流ドラマって、コミカルさを演出するのが目的なのかどうかわかりませんが、なんだって、変なキャラが登場するんでしょうか?大声でしゃべったり、おばかだったり、単純だったり、品がなかったりと、「うざい」でカテゴライズできるキャラ。そんなにたくさん見たわけじゃないんですが、たいていそういうキャラがいる気がします。なぜなんでしょうね。
たまたま、不朽の名作アニメ「フランダースの犬」の再放送を見ました。
ネロのおじいさんが畑仕事をしていて、ネロはアロアのスケッチをしています。そこへ、アロアのパパであるコゼツの旦那登場。旦那は「おじいさんだけ働かせて自分は怠けている」とネロをなじります。絵を描くのは怠け者のすることであり、自分がネロくらいの年齢のときはたくさん勉強をしていたと言います。
一緒に見ていた私の身内は「金持ちって意地悪だねえ」などと言っていましたし、子供のときは私もそう感じたかもしれませんが、今見て思ったのは、旦那の言うことも一理ある、ということでした。いきさつがどうあれ、そのひとこまだけ見ればネロは遊んでいるように見えるし、絵を描いたこともなく小さなときから懸命に勉学にうちこんでいた人にとってはなおさらそう感じるだろうな、と。
だからといって、子供を頭ごなしに叱りつけるのは感心しませんが、主人公のかわいそうさをひきたてるために、主人公に敵対する人を悪役にしてしまう演出とはどういうものだろうかと思います(アニメでは、ネロやアロアは子供のように描かれていますが、もう少し上なんじゃないでしょうか。アロアはイギリスの学校に通っていたと言っていますし。昔私が読んだ本の挿絵では、けっこう大人びていました)。
おじいさんはネロを遺して世を去ってしまうのですが、その前に何か手を打ったんでしょうか。養子先を探すとか。ネロが孤児になってしまうことは想定の範囲内でしょうに。と考えると、やさしいだけではほんとうに人のためになるのか、という疑問がわいてきます。
主人公のかわいそうさをひきたてるために、敵対する人を悪役に仕立てる、というのは、テレビ番組「行列のできる法律相談所」の再現ドラマでも感じたことがあります。「人に迷惑をかけたり理不尽な要求をしていたりしている人のほうが法律的に正しいなんて、んまあー!!」という印象を視聴者に植えつけたいのでしょうが、そんな感情的な話は私にとってはどうでもよろしいです。
なんてことまで思い出してしまいました。
もうひとつ。
新聞に、小中学生から寄せられた詩を載せるコーナーがあります。私が目にしたのは、小学生の詩でした。
日曜日、家に誰もいなくて静かで、ひまで、ひとりでテレビを見てひとりで笑った、という内容の短い詩です。
にぎやかな日常から切り離された、しみじみとした時間を過ごしたんだなあ、いい経験だなあ、と私は思ったのですが、添えられていた選者とおぼしき方のコメントはまったく違っていました。この詩は寂しい気持ちがこめられていると思ったようです。
この詩の作者しか答えはわからないのでなんとも言えませんが、静かな家にひとり、というのは「寂しい」と簡単にイコールで結びつかないです、私は。だからびっくりしました。静かなところにひとりでいるって、必ずしも寂しいとは限らないのではないかな?子供だからって。
「あたしンち」というまんがで、いつも騒々しいお母さんが外出し、夫・娘・息子がまったりのんびりとした休日を過ごしていたところへお母さんが帰ってきて、「あらあらお母さんがいないとこの家は火が消えたようだね!」と言い放ち、三人が軽くイラッとする、という話がありましたが、はい、よくわかります…。
何が言いたいかというと、貧しい=清らか、金持ち=意地悪、とか、よく喋る=明るい、物静か=暗い、とか、なんか、そういう単純な図式でくくってほしくないってことです。
子供のときにガンダム(ファースト)を見て、主人公=よい人、敵=悪い人、という図式が成り立たないことにおどろいた記憶があります。
なんでも真に受けてしまう子供だったので、お話やアニメは描かれていることが絶対だと思いこみ(いまだに二次創作はまったくできません)、登場人物が少しでも悪く描かれていると「悪いやつだ」と受け取ってまったく好感が持てないことがよくありました。うん、もったいない。
今みたいにネットが普及していたら、他の人たちの感想や印象を聞いて、もっと世界に深みが出たのかもしれなかったですね。
「謎解きはディナーのあとで」を読みました
お久しぶりです。ずいぶんブログに投稿していませんでしたが何ごともなかったかのように始めます。
人さまが貸してくれたので「謎解きはディナーのあとで」を読みました。本屋大賞をとって話題になって非常に売れているそうですね。100万部突破とか。
そのへんのこととか、どういうキャラクターが出てきてどういう小説なのか、まったく予備知識なしで読み始めました。連作短編なのですが、一作読んで、ああこうやって楽しむべきものか、というこつのようなものがつかめました。
そう、あれだ。謎解きクイズ。子どものときに読みましたいろいろ。状況を淡々と文章で説明して、トリックや犯人を推理させるものとか。まんが仕立てでキャラもそれなりに立ってるのもありました(学研の学習だか科学だかで読んだ記憶があります)。この本は、文章で書かれているけど後者によく似ている気がします。
ひとつの話のうち前半が問題編、後半が解答編。ヒントはあちこちに何気なくちりばめられている、と。小説ではなく、クイズ集なのだこれは。
Amazonで読んだ、この本の紹介や書評に対して私が思ったこと。
☆日本初!?の安楽椅子探偵
→日本初なの?京極堂も安楽椅子探偵なのでは?Wikipediaで「安楽椅子探偵」の項目を見ると、いろんな和製安楽椅子探偵がいます。あ、DEATH NOTEのLもか。執事の安楽椅子探偵が日本で初めてっていう意味なんだろうか?
☆ユーモアたっぷりのふたりの掛け合い
→ていうか、罵り合いでは…?ユーモアと称するならもっとひねって!ひねって!毒を吐くというのは単なる暴言とは違うと思うよ。ただ馬鹿にしているだけ。悪態がおもしろい、という小説もあるけども。氷室冴子さんの「雑居時代」だとか、田中芳樹さんの「銀河英雄伝説」だとか。雑居時代は語彙とテンポと勢いが半端ないし、銀河英雄伝説は「こんなふうに、偉そうにしている人を知的にちくりと刺してやりたい」って思う。
☆登場人物がおもしろい
→主人公のお嬢様だけでなく、上司までお金持ちに設定したそのこころは?上司が金持ち自慢をするたびに、大財閥のお嬢様が「うちのほうがもっとすごいわよ」みたいなことを思うわけだけど、格が違いすぎるのであれば格下の存在をいちいち気にしたり不快になったりしないのでは?「金持ちけんかせず」っていうし。コネで就職するのがいやで公務員になったのに、結局「うちのほうが金持ちよ」みたいなことを考えるのなら、いつもは自分がご令嬢であることを隠してさまざまな屈辱をぐっとこらえているけど正体はスーパー高飛車お嬢様にしたほうがまだキャラ設定に破綻がなくていいような気がするよ。庶民派になりたいのか、人を見下したいのか、どっちなんだ。あるいは、世間一般からずれまくっている感覚のお嬢様にしてみるとか。森博嗣さんの作ったキャラ、西之園萌絵みたいな。
おもしろくなかったーとは言わないけど、なにかがいろいろ足りないように思います。
この本を貸してくれたのは理系のひと。ふだん小説はあまり読まないと言っているが三国志やら司馬遼太郎やらニーチェやらも苦もなく読めちゃうひと(うらやましすぎる)。パズル好きでもあるので、西澤保彦さんをおすすめしてみようかしらん。私は、初期のミステリをよく読んでいたけど、パズラーとしてすばらしいし、笑いをこらえるのが苦行なほどおもしろかったです。
人さまが貸してくれたので「謎解きはディナーのあとで」を読みました。本屋大賞をとって話題になって非常に売れているそうですね。100万部突破とか。
そのへんのこととか、どういうキャラクターが出てきてどういう小説なのか、まったく予備知識なしで読み始めました。連作短編なのですが、一作読んで、ああこうやって楽しむべきものか、というこつのようなものがつかめました。
そう、あれだ。謎解きクイズ。子どものときに読みましたいろいろ。状況を淡々と文章で説明して、トリックや犯人を推理させるものとか。まんが仕立てでキャラもそれなりに立ってるのもありました(学研の学習だか科学だかで読んだ記憶があります)。この本は、文章で書かれているけど後者によく似ている気がします。
ひとつの話のうち前半が問題編、後半が解答編。ヒントはあちこちに何気なくちりばめられている、と。小説ではなく、クイズ集なのだこれは。
Amazonで読んだ、この本の紹介や書評に対して私が思ったこと。
☆日本初!?の安楽椅子探偵
→日本初なの?京極堂も安楽椅子探偵なのでは?Wikipediaで「安楽椅子探偵」の項目を見ると、いろんな和製安楽椅子探偵がいます。あ、DEATH NOTEのLもか。執事の安楽椅子探偵が日本で初めてっていう意味なんだろうか?
☆ユーモアたっぷりのふたりの掛け合い
→ていうか、罵り合いでは…?ユーモアと称するならもっとひねって!ひねって!毒を吐くというのは単なる暴言とは違うと思うよ。ただ馬鹿にしているだけ。悪態がおもしろい、という小説もあるけども。氷室冴子さんの「雑居時代」だとか、田中芳樹さんの「銀河英雄伝説」だとか。雑居時代は語彙とテンポと勢いが半端ないし、銀河英雄伝説は「こんなふうに、偉そうにしている人を知的にちくりと刺してやりたい」って思う。
☆登場人物がおもしろい
→主人公のお嬢様だけでなく、上司までお金持ちに設定したそのこころは?上司が金持ち自慢をするたびに、大財閥のお嬢様が「うちのほうがもっとすごいわよ」みたいなことを思うわけだけど、格が違いすぎるのであれば格下の存在をいちいち気にしたり不快になったりしないのでは?「金持ちけんかせず」っていうし。コネで就職するのがいやで公務員になったのに、結局「うちのほうが金持ちよ」みたいなことを考えるのなら、いつもは自分がご令嬢であることを隠してさまざまな屈辱をぐっとこらえているけど正体はスーパー高飛車お嬢様にしたほうがまだキャラ設定に破綻がなくていいような気がするよ。庶民派になりたいのか、人を見下したいのか、どっちなんだ。あるいは、世間一般からずれまくっている感覚のお嬢様にしてみるとか。森博嗣さんの作ったキャラ、西之園萌絵みたいな。
おもしろくなかったーとは言わないけど、なにかがいろいろ足りないように思います。
この本を貸してくれたのは理系のひと。ふだん小説はあまり読まないと言っているが三国志やら司馬遼太郎やらニーチェやらも苦もなく読めちゃうひと(うらやましすぎる)。パズル好きでもあるので、西澤保彦さんをおすすめしてみようかしらん。私は、初期のミステリをよく読んでいたけど、パズラーとしてすばらしいし、笑いをこらえるのが苦行なほどおもしろかったです。
無粋なことを申し上げます
かねてよりなんとなーく自覚はあったけれど、ブログやサイトやTwitterを見ているうちに、自分はやっぱりマイノリティなのではないかしらんと感じることが多くなりました。何に関してかといえば、性的なこととか、恋愛観のこととか、結婚観のこととか、です。
先日、その手の話題で、知人にいろいろと聞かれることがありました。笑顔を保ちつつも当り障りないようにと受け答えしたのですが、あとになってなんだかどっと疲れました。自分の価値観を否定され、ああせいこうせいとネガティブに忠告されてばかりだったからです。
私は何の不都合も感じていないし、悩んでいるわけでもせっぱつまっているわけでも相談したいわけでもないので、「それはオカシイ。理解できない」と否定されたり「◯◯しないとだめだよ!」などと言われてもひたすら困ることしかできないのです。
「自分(たち)はそんなに特殊なのかなあ?」「否定されたときに備えて、理論武装しておかなくっちゃ」と思って、そういうジャンルの小説を読みあさってみたところで、モデルになりそうなおはなしになかなかめぐり会えないし。恋愛相談のBBSやら質問サイトを見てみても、やっぱり自分のケースに当てはまるトピックはそうそうありません。もし自分が、そういったサイトで相談ごとをしたところで、寄せられた回答に「なんだかどれも的はずれだなあ」と思ってしまうのではないか。それでは、せっかく回答してくださったかたに失礼ですよね。
結局のところ、何が正しいのか、どうすれば幸せなのか、という答えは自分のなかにしかないのかもしれません。自分と似た考えを持ったひとがいれば安心できますが、そういうひとを探せば探すほど世間は自分とちがう考えを持っていることに気づいて「もーいーや。探すのやーめたっ♪」と中止することになります(私の視野が狭いだけで、私のような感覚のひとはわんさかいるのかもしれませんが)。
ああ、そういえば、小中高とよく同級生が咲かせていた恋バナは、まったく混じれなくて、共感もできなくて、苦痛だったなあ!こどものときずっと友だちが少なかった要因は、そういう点にもあったのかも……
某SNSで取り上げられていたコラムに、興味をひかれました。コラム自体というより、それを読んだひとびとが日記に書いた感想が。
コラムの内容は、教えて!Gooに寄せられた相談内容から。「付き合ってください」というはじまりの言葉なしにカップルになっている男女について。「ほんとうに付き合っているのか?」と女性は不安になるだとか、「付き合って」と言いたがらない男性もいるとか、そういったことです。
それを読んだひとびとの感想を読んでいくと、「ちゃんと言ってほしい」「けじめだ」「言わない男はずるい。相手をキープ扱いにしてるだけ」「束縛したくないとか、断られたらいやだとか、オカシイ。そんなの恋人どうしじゃない」といったものがびっくりするほどたくさんありました。
なんで、男がずるいっていう感想になるのか、私にはわかりませんでした。恋人どうしは対等であるべきなんじゃないの?なんで男が女をもてあそぶっていう図式がみんなの頭に浮かぶの?女はみんなそんなに下の立場なの?受身なの?
私は「付き合って」と言った経験はありませんし今後もたぶんないかと思います。自分から恋愛感情を持つことがないので。
「付き合って」と言われたいかと聞かれれば、答えはNO!です。言われたくありませんっ!もし言われたら……逃げます。相手を避けます。たとえ私が好きなひとから言われたとしても、です。
私はもともと恋愛感情がなかなかわかない性質のようで、友愛と恋愛の区別もけっこうあいまいです。だから、「付き合ってください」と言われるとすごく困ります。いきなり決断を迫られるわけですから。今までどおりの関係が変わってしまうのであれば、いっそのことここで終わりにしたいと思うかもしれません。「付き合い」を承諾したあとで、「やっぱり恋人としての好きじゃないな」と気づいたら、そこで関係を一切合切すっぱり切る、というのが世間さまのやりかたのようですが、それもなんか納得できません。私自身は変化していないし、最初から変化を求めていないんですから。私の感覚が理解できずに相手が離れていくのであれば、それはしかたのないこと。感覚の不一致。
というわけで、私は「好きです」「付き合ってください」という言葉で追いつめられることなしに、ゆっくりゆっくり距離を縮めていくのがよいようです。友だちだって、いきなり「友だちになってください」と頼まれて付き合うよりも、時を重ねて自然と親しくなっていることのほうが多いでしょう。それと同じ。
あいまいな関係だと批判されるかもしれませんが、あいまいで何がわるいのか?と逆に問いたい。遊ばれているんじゃないかと言われるかもしれませんが、遊んでいるのは私のほうかもしれませんよと言いたい。
将来を誓い合うような仲になったら改めるべきポイントもあるのでしょう。知人には、結婚につながらない恋愛は不毛だというようなことを言われましたが、結婚は私のライフプランにはないし結婚したいがためにひとを好きになる、という価値観は私にないですよ。お家のために結婚させられた時代じゃあるまいし。将来、うっかり結婚してしまう可能性もゼロではありませんが、それはあくまでも結果として、のはずで。
事情も価値観も志向もひとそれぞれ。それでいいのかわるいのか、は本人にしかわからないことです。本人が悩んでいなければ、他人があれこれ言ってもしかたないこと。「そんな生き方をしていると将来後悔するよ」と言われても、その将来がいつ来るのかも、ほんとうに来るのかさえもわからないのですから、今が楽しめなくなったらもったいないです。
相談ごとや打ち明け話も、相手を選ぶべきなんでしょうね。お互いのために……。と、ここまで読んでくださったかたも「おまえは間違ってる!オカシイ!」と思うやもしれませんので、長々ぐだぐだ書いてきた文章もそろそろおしまい。ワタクシも大人のタシナミとして、うちに秘めることにいたします。
先日、その手の話題で、知人にいろいろと聞かれることがありました。笑顔を保ちつつも当り障りないようにと受け答えしたのですが、あとになってなんだかどっと疲れました。自分の価値観を否定され、ああせいこうせいとネガティブに忠告されてばかりだったからです。
私は何の不都合も感じていないし、悩んでいるわけでもせっぱつまっているわけでも相談したいわけでもないので、「それはオカシイ。理解できない」と否定されたり「◯◯しないとだめだよ!」などと言われてもひたすら困ることしかできないのです。
「自分(たち)はそんなに特殊なのかなあ?」「否定されたときに備えて、理論武装しておかなくっちゃ」と思って、そういうジャンルの小説を読みあさってみたところで、モデルになりそうなおはなしになかなかめぐり会えないし。恋愛相談のBBSやら質問サイトを見てみても、やっぱり自分のケースに当てはまるトピックはそうそうありません。もし自分が、そういったサイトで相談ごとをしたところで、寄せられた回答に「なんだかどれも的はずれだなあ」と思ってしまうのではないか。それでは、せっかく回答してくださったかたに失礼ですよね。
結局のところ、何が正しいのか、どうすれば幸せなのか、という答えは自分のなかにしかないのかもしれません。自分と似た考えを持ったひとがいれば安心できますが、そういうひとを探せば探すほど世間は自分とちがう考えを持っていることに気づいて「もーいーや。探すのやーめたっ♪」と中止することになります(私の視野が狭いだけで、私のような感覚のひとはわんさかいるのかもしれませんが)。
ああ、そういえば、小中高とよく同級生が咲かせていた恋バナは、まったく混じれなくて、共感もできなくて、苦痛だったなあ!こどものときずっと友だちが少なかった要因は、そういう点にもあったのかも……
某SNSで取り上げられていたコラムに、興味をひかれました。コラム自体というより、それを読んだひとびとが日記に書いた感想が。
コラムの内容は、教えて!Gooに寄せられた相談内容から。「付き合ってください」というはじまりの言葉なしにカップルになっている男女について。「ほんとうに付き合っているのか?」と女性は不安になるだとか、「付き合って」と言いたがらない男性もいるとか、そういったことです。
それを読んだひとびとの感想を読んでいくと、「ちゃんと言ってほしい」「けじめだ」「言わない男はずるい。相手をキープ扱いにしてるだけ」「束縛したくないとか、断られたらいやだとか、オカシイ。そんなの恋人どうしじゃない」といったものがびっくりするほどたくさんありました。
なんで、男がずるいっていう感想になるのか、私にはわかりませんでした。恋人どうしは対等であるべきなんじゃないの?なんで男が女をもてあそぶっていう図式がみんなの頭に浮かぶの?女はみんなそんなに下の立場なの?受身なの?
私は「付き合って」と言った経験はありませんし今後もたぶんないかと思います。自分から恋愛感情を持つことがないので。
「付き合って」と言われたいかと聞かれれば、答えはNO!です。言われたくありませんっ!もし言われたら……逃げます。相手を避けます。たとえ私が好きなひとから言われたとしても、です。
私はもともと恋愛感情がなかなかわかない性質のようで、友愛と恋愛の区別もけっこうあいまいです。だから、「付き合ってください」と言われるとすごく困ります。いきなり決断を迫られるわけですから。今までどおりの関係が変わってしまうのであれば、いっそのことここで終わりにしたいと思うかもしれません。「付き合い」を承諾したあとで、「やっぱり恋人としての好きじゃないな」と気づいたら、そこで関係を一切合切すっぱり切る、というのが世間さまのやりかたのようですが、それもなんか納得できません。私自身は変化していないし、最初から変化を求めていないんですから。私の感覚が理解できずに相手が離れていくのであれば、それはしかたのないこと。感覚の不一致。
というわけで、私は「好きです」「付き合ってください」という言葉で追いつめられることなしに、ゆっくりゆっくり距離を縮めていくのがよいようです。友だちだって、いきなり「友だちになってください」と頼まれて付き合うよりも、時を重ねて自然と親しくなっていることのほうが多いでしょう。それと同じ。
あいまいな関係だと批判されるかもしれませんが、あいまいで何がわるいのか?と逆に問いたい。遊ばれているんじゃないかと言われるかもしれませんが、遊んでいるのは私のほうかもしれませんよと言いたい。
将来を誓い合うような仲になったら改めるべきポイントもあるのでしょう。知人には、結婚につながらない恋愛は不毛だというようなことを言われましたが、結婚は私のライフプランにはないし結婚したいがためにひとを好きになる、という価値観は私にないですよ。お家のために結婚させられた時代じゃあるまいし。将来、うっかり結婚してしまう可能性もゼロではありませんが、それはあくまでも結果として、のはずで。
事情も価値観も志向もひとそれぞれ。それでいいのかわるいのか、は本人にしかわからないことです。本人が悩んでいなければ、他人があれこれ言ってもしかたないこと。「そんな生き方をしていると将来後悔するよ」と言われても、その将来がいつ来るのかも、ほんとうに来るのかさえもわからないのですから、今が楽しめなくなったらもったいないです。
相談ごとや打ち明け話も、相手を選ぶべきなんでしょうね。お互いのために……。と、ここまで読んでくださったかたも「おまえは間違ってる!オカシイ!」と思うやもしれませんので、長々ぐだぐだ書いてきた文章もそろそろおしまい。ワタクシも大人のタシナミとして、うちに秘めることにいたします。
そもそも家に自分の席はなかった
親元を離れた暮らしを始めてから、ずいぶんたちました。たまに実家に戻ると、自分の原点のようなものを強く感じることができます。
先日、実家に滞在しているとき、髪がばりばりごわごわになってしまいました。明らかにシャンプーが合わないせいだとわかりました。私の髪は細くてやわらかく、絡みやすい猫っ毛なので、値段が高くても自分に合うシャンプーを買うようにしています。しかし、ほかの家族は私のと正反対の、硬くて丈夫な髪質で、シャンプーにはむとんちゃくです。リンスやコンディショナーさえ使いません。実家に来たとたん、私の髪から艶が消えたことにすら気づいていなかったはずです。
きっと、ずっと実家に住んでいたら、髪がごわごわしているのはもともとそういう髪質なのだろうとあきらめてしまったと思います。いろいろなシャンプーを試してみる、といった冒険はしなかっただろうと思うのです。実家にあるものに、自分の意見や趣味や好みを持ちこむ、という習慣あるいは人間関係を築くのに失敗したからです。
あらためて実家に置かれているいろいろなものを振り返ると、私の好みとの合致があまりにも少ないことにおどろきました。親元を離れるまで、自分の好みはずっと抑圧されていたのでした。自分に合った生活をプロデュースできるのは、なんと貴重なことなんでしょう……。
もうひとつ感じたのは、自分の居場所が実家にないことです。はじめから、用意されていないのです。
私は家族の中でいちばん年少です。テーブルは四角なので、四辺あります。一辺ごとにひとり座れる計算になりますが、テレビが見えなくなるので、一辺を空けておかねばなりません。そこで私は、誰かの一辺にいつもおじゃますることになります。席の主が不在のときは、こっそりそこに座りますが、主が戻ってきたら悟られないようにさっとすばやく移動します。
先日も、兄の席に座っていたところ兄が戻ってきたので、ささっと移動したのですが、「あ、私って自分の席がないんだ」ということに今さらながら気づいたのでした。誰かが来たらそこをどく、という生活から遠く離れたからこそ、やっと違和感に気づくことができたのですが、自分の席がいつまでたっても存在しない、という事実はなかなか厳しいような気がしました。
幼いころ、母のひざに乗っているときに兄がやって来ると、そこをどかされるのが決まりでした。私がどくと兄がそこに座るわけです。
こういったもろもろのことが、私の人格形成にまったく影響を及ぼしていないとは思えません。
もっとも、今では実家のどこに何が仕舞われているのかなどもわからないので、実家に私の居場所はこれからも存在しないのでしょう。
母は私にいろんな影響を強く与えました。私は母に自分の意見を言うことがほとんどできずに育ちました。今でも言えません。
親元を離れて、自分が親とどうちがうのかだとか、ちがっていることはわるいことではないのだとか、そのようなことを冷静に見つめることができたのはたいへんよかったと思います。母が好きな芸能人を私がきらいでもいいとか、そんなささいなことも含めて。
なんだかきゅうくつだ、と感じているひとは、実家と距離をおくといいと思います。家族ではなく、ひとりの人間として見ると、また感じ方が変わります。
先日、実家に滞在しているとき、髪がばりばりごわごわになってしまいました。明らかにシャンプーが合わないせいだとわかりました。私の髪は細くてやわらかく、絡みやすい猫っ毛なので、値段が高くても自分に合うシャンプーを買うようにしています。しかし、ほかの家族は私のと正反対の、硬くて丈夫な髪質で、シャンプーにはむとんちゃくです。リンスやコンディショナーさえ使いません。実家に来たとたん、私の髪から艶が消えたことにすら気づいていなかったはずです。
きっと、ずっと実家に住んでいたら、髪がごわごわしているのはもともとそういう髪質なのだろうとあきらめてしまったと思います。いろいろなシャンプーを試してみる、といった冒険はしなかっただろうと思うのです。実家にあるものに、自分の意見や趣味や好みを持ちこむ、という習慣あるいは人間関係を築くのに失敗したからです。
あらためて実家に置かれているいろいろなものを振り返ると、私の好みとの合致があまりにも少ないことにおどろきました。親元を離れるまで、自分の好みはずっと抑圧されていたのでした。自分に合った生活をプロデュースできるのは、なんと貴重なことなんでしょう……。
もうひとつ感じたのは、自分の居場所が実家にないことです。はじめから、用意されていないのです。
私は家族の中でいちばん年少です。テーブルは四角なので、四辺あります。一辺ごとにひとり座れる計算になりますが、テレビが見えなくなるので、一辺を空けておかねばなりません。そこで私は、誰かの一辺にいつもおじゃますることになります。席の主が不在のときは、こっそりそこに座りますが、主が戻ってきたら悟られないようにさっとすばやく移動します。
先日も、兄の席に座っていたところ兄が戻ってきたので、ささっと移動したのですが、「あ、私って自分の席がないんだ」ということに今さらながら気づいたのでした。誰かが来たらそこをどく、という生活から遠く離れたからこそ、やっと違和感に気づくことができたのですが、自分の席がいつまでたっても存在しない、という事実はなかなか厳しいような気がしました。
幼いころ、母のひざに乗っているときに兄がやって来ると、そこをどかされるのが決まりでした。私がどくと兄がそこに座るわけです。
こういったもろもろのことが、私の人格形成にまったく影響を及ぼしていないとは思えません。
もっとも、今では実家のどこに何が仕舞われているのかなどもわからないので、実家に私の居場所はこれからも存在しないのでしょう。
母は私にいろんな影響を強く与えました。私は母に自分の意見を言うことがほとんどできずに育ちました。今でも言えません。
親元を離れて、自分が親とどうちがうのかだとか、ちがっていることはわるいことではないのだとか、そのようなことを冷静に見つめることができたのはたいへんよかったと思います。母が好きな芸能人を私がきらいでもいいとか、そんなささいなことも含めて。
なんだかきゅうくつだ、と感じているひとは、実家と距離をおくといいと思います。家族ではなく、ひとりの人間として見ると、また感じ方が変わります。
かかと落としくらいはしてみよう
ひさびさに肉体労働をしました。
若い子に手伝ってもらいましたが、肉体労働の経験がない、というのがよくわかりました。
肉体労働に慣れている動きと慣れていない動きというのは、ずいぶんちがいます。重いものの持ち方ひとつとってもそれは顕著です。
彼女は自称・腕自慢だったのですが「ふるふるさんって力持ちなんだ…。負けた……」とがっくりしていました。いや、腕力というより経験値の差なのです。私は若いころよりも筋肉が落ちているから、今や腕立て伏せだって続かないもの。
おかげで、腕自慢かと思いきや実はか弱い彼女と、おっとりしていると思いきや実は力持ちな私、といったぐあいに互いのキャラが入れ替わってしまいました。
「ふるふるさん、これずっとひとりでやってたんですか?死ぬわーこれ死ぬわまじで……」
と彼女が言っていたとおり、私はこの作業をやるといつも足腰を痛めるのですが、彼女が助手をしてくれたおかげで今回はかなり楽させてもらいました♪
不要になったダンボール箱をたたむ(本当は「たたむ」でなく「つぶす」と言いますが、業界用語ですか?)とき。底にはクラフトテープがH留めしてありました。彼女は「あっカッターがない……。でもボールペンでやればいいか」と言っていました。
「こうすればかんたんだよ」と言いつつ、私は、ひっくりかえした箱の底にかかとをだん!!と打ち付けました。こうすると、クラフトテープが破けて箱がたためるようになるわけですが、
「ふ、ふるふるさんがかかと落とし……」
とガクブルされてしまいました……。
倉庫なんかではよくやる技なんですけどね……。
「ふるふるさん何かあったとき頼りにしますっ」となにやら尊敬されてしまったので、どうしよう。平和主義者なので、けんかは別に強くありませんよ。
倉庫作業をしたことのない女子だと、「そのやりかたは効率悪いぞ」と思うことが多々あります。
たとえば、広大な倉庫で。空のダンボール箱を向こうに持って行きたいとき、経験者はほぼ全員が、目的地に向かって投げます。ぼーん!!と。現在地と目的地の間に何かものがあれば、それを箱が飛び越えるように高く放り投げます。ぼーーん!!
だから倉庫内では、箱が空中を飛んでいるのは見慣れた光景です。
あとはそうだなあ、ダンボール箱の口をガムテープで留めるとき、女の子はだいたい手伝ってくれようとするんだけど、ひとりでやったほうが楽。ぱんぱんに詰めこんだ箱なら押さえてもらえるとありがたいけど、そうでないときは、押さえてくれている手をよけながら貼らないといけないから手際がわるくなります。ガムテの輪っかで押さえながらぴっぴっと貼っていくほうがよほどスムーズです。
ほかにもいろいろ。
肉体労働経験のない女の子の動きを見ると、すごい差を感じます。若いころに経験しといたほうがいいよ!と思います。私はあまり器用じゃないですが、ガムテでダン箱組み立てるのも、たたむのも、かなり早いです。そんな自分がちょっとかっこよく思えます。ふふ。
あー、この能力を発揮する機会が今はめったにないことが、実にくちおしい。
さて、作業が終わって、彼女が上司に「ふるふるさんすごい力持ちなんですよ!しかもかかと落としまでするんですよ!」と報告したわけですが。
特に長いつきあいでもない上司は、さほどおどろきもしませんでした。要するに、私のガテンな能力をとうに見抜いていたのでした。
そっかー。知らず知らずのうちに、日常生活ににじみ出てるんだなあ。
たしかに、今回は「こんな重いものを持って大丈夫?」とすごく心配してくれる人がたくさんいました。私がひとりでうんうん汗水たらして腰を痛めてがんばっていたときは、そんなことめったに言われなかったのにな!きっと、軽々と作業をこなしているようにみえるのであろう……。いや、私が若くてかわいい女の子じゃないせいか……。
肉体労働、たいへんだけどけっこう楽しい。
あとは、彼女が明日筋肉痛に悩まされないように祈るばかりです。お疲れさま、ありがとう!!
若い子に手伝ってもらいましたが、肉体労働の経験がない、というのがよくわかりました。
肉体労働に慣れている動きと慣れていない動きというのは、ずいぶんちがいます。重いものの持ち方ひとつとってもそれは顕著です。
彼女は自称・腕自慢だったのですが「ふるふるさんって力持ちなんだ…。負けた……」とがっくりしていました。いや、腕力というより経験値の差なのです。私は若いころよりも筋肉が落ちているから、今や腕立て伏せだって続かないもの。
おかげで、腕自慢かと思いきや実はか弱い彼女と、おっとりしていると思いきや実は力持ちな私、といったぐあいに互いのキャラが入れ替わってしまいました。
「ふるふるさん、これずっとひとりでやってたんですか?死ぬわーこれ死ぬわまじで……」
と彼女が言っていたとおり、私はこの作業をやるといつも足腰を痛めるのですが、彼女が助手をしてくれたおかげで今回はかなり楽させてもらいました♪
不要になったダンボール箱をたたむ(本当は「たたむ」でなく「つぶす」と言いますが、業界用語ですか?)とき。底にはクラフトテープがH留めしてありました。彼女は「あっカッターがない……。でもボールペンでやればいいか」と言っていました。
「こうすればかんたんだよ」と言いつつ、私は、ひっくりかえした箱の底にかかとをだん!!と打ち付けました。こうすると、クラフトテープが破けて箱がたためるようになるわけですが、
「ふ、ふるふるさんがかかと落とし……」
とガクブルされてしまいました……。
倉庫なんかではよくやる技なんですけどね……。
「ふるふるさん何かあったとき頼りにしますっ」となにやら尊敬されてしまったので、どうしよう。平和主義者なので、けんかは別に強くありませんよ。
倉庫作業をしたことのない女子だと、「そのやりかたは効率悪いぞ」と思うことが多々あります。
たとえば、広大な倉庫で。空のダンボール箱を向こうに持って行きたいとき、経験者はほぼ全員が、目的地に向かって投げます。ぼーん!!と。現在地と目的地の間に何かものがあれば、それを箱が飛び越えるように高く放り投げます。ぼーーん!!
だから倉庫内では、箱が空中を飛んでいるのは見慣れた光景です。
あとはそうだなあ、ダンボール箱の口をガムテープで留めるとき、女の子はだいたい手伝ってくれようとするんだけど、ひとりでやったほうが楽。ぱんぱんに詰めこんだ箱なら押さえてもらえるとありがたいけど、そうでないときは、押さえてくれている手をよけながら貼らないといけないから手際がわるくなります。ガムテの輪っかで押さえながらぴっぴっと貼っていくほうがよほどスムーズです。
ほかにもいろいろ。
肉体労働経験のない女の子の動きを見ると、すごい差を感じます。若いころに経験しといたほうがいいよ!と思います。私はあまり器用じゃないですが、ガムテでダン箱組み立てるのも、たたむのも、かなり早いです。そんな自分がちょっとかっこよく思えます。ふふ。
あー、この能力を発揮する機会が今はめったにないことが、実にくちおしい。
さて、作業が終わって、彼女が上司に「ふるふるさんすごい力持ちなんですよ!しかもかかと落としまでするんですよ!」と報告したわけですが。
特に長いつきあいでもない上司は、さほどおどろきもしませんでした。要するに、私のガテンな能力をとうに見抜いていたのでした。
そっかー。知らず知らずのうちに、日常生活ににじみ出てるんだなあ。
たしかに、今回は「こんな重いものを持って大丈夫?」とすごく心配してくれる人がたくさんいました。私がひとりでうんうん汗水たらして腰を痛めてがんばっていたときは、そんなことめったに言われなかったのにな!きっと、軽々と作業をこなしているようにみえるのであろう……。いや、私が若くてかわいい女の子じゃないせいか……。
肉体労働、たいへんだけどけっこう楽しい。
あとは、彼女が明日筋肉痛に悩まされないように祈るばかりです。お疲れさま、ありがとう!!
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